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              2013越知山泰澄塾c

 

 

 

 

 

 

 

白山禅常道と三馬場

 

禅定道とは白山山頂までの修行道のことです。道中には修行場となる滝や岩屋があり、宿泊のための室などが設けられていました。その道の起点となったのが馬場で、越前・加賀・美濃の三方に開かれ、白山三馬場といいます。『白山記』(白山比眸神社蔵)によると、三馬場は天長9年(832)に開かれたといいます。白山に登った僧侶の記録や出土品などからも、9世紀ころには修行僧などが集まりはじめていたようです。
登拝□である三馬場は信仰の中心地として、越前馬場は白山平泉寺、加賀馬場は白山寺、美濃馬場は長瀧寺がそれぞれ実権を握っていきました。
山頂までの道はいくつかあったと考えられますが、平泉寺を起点に剣宮から三頭山に登り、法恩寺、伏拝を経て小原峠を越え、三ツ谷、市ノ瀬を経由して室堂から御前峰に至る道をとくに「越前禅定道」といいます。しかし、その道は厳しく、しだいに敬遠されるようになり、近世の参詣者はおもに谷峠から白峰をまわって山頂に登っていたようです。

 白山は福井県・石川県・岐阜県にまたがる山であり、標高2701メートルをほこる御前峰を主峰とし、標高2684メートルの大汝峰・標高2677メートルの剣ヶ峰の三岳にわかれている。白山一帯は北の手取川、西の九頭竜川、南の長良川の水源にあたり、山頂はハクサンコザクラ・ハクサンフウロ・ハクサンイチゲなどの高山植物の宝庫として有名である。現在は国立公園に指定されている。
 白山は活火山であり、記録に残る噴火は慶雲3年(706)に始まり、万治2年(1659)までに9回確認できる。剣ヶ峰と大汝峰の間には山上湖の翠ヶ池があり、これは長久3年(1042)の噴火にともなってできた火口湖である。また千蛇ヶ池は日本唯一の亜熱帯式寒冷湖であり、夏でも雪と氷に閉ざされている。
 白山は三大河の水源地であり、白山信仰の原点は豊穣を約束する豊かな水をもたらしてくれる農耕神信仰であったと考えられる。白
山が文献に確認できる最初の事例は『万葉集』巻一四とされる。10世紀半ばに成立した『泰澄和尚伝記』によれば養老元年(717)、泰澄によって開山がなされた。泰澄は御前峰で白山妙理大菩薩(十一面観音)、別山で小白山別山大行事(聖観音)、大汝峰で大己貴(阿弥陀如来)を感得し、これら三神は白山三所権現と呼ばれる。
 白山への登拝ルートは手取川・九頭竜川・長良川の河川沿いにそれぞれひらかれ、出発点である「馬場」から御前峰へとつながる。これらの道は「禅定道」と呼ばれ、『白山縁起』によると、越前・加賀・美濃の三馬場は天長9年(832)に聞かれたとされる。加賀馬場は白山本宮で、その後身が現在の白山比盗_社(石川県白山市)である。禅定道は白山本宮から手取川を上り、尾根伝いに大汝峰に至り、最後に御前峰に登る。越前馬場は平泉寺で、現在は白山神社(福井県勝山市)である。禅定道は平泉寺を出発して、三頭山・法恩寺山・三谷・市之瀬を経て御前峰に至る。美濃馬場は長滝寺で、現在は白山長滝神社(岐阜県白鳥町)である。禅定道は長良川に沿って北上し、石徹白地区に入り、白山中居神社を経て別山に至り、尾根伝いに御前峰に登る。
 白山信仰の歴史はこの三馬場を中心に発展してきた経緯があり、平安中期以降、泰澄による開基縁起に統一されるが、同時に三馬場による本家争いが生じた。平安末期にはいずれとも天台宗比叡山延暦寺末となり、本家争いはますますはげしくなる。しかし、明治元年(1869)の神仏分離令により、白山三所権現はすべて白山神社(白山比盗_社)の本社に指定され、白山から仏教色を排除するように指令が出た。そのため三寺は互いの争いをやめてこれに抗したが、明治7年(1874)石川県の役人たちにより御前峰の十一面観音像をはじめ八体の仏像が下山させられた。また山上の仏教関係の建物や石仏はことごとく破壊されてしまったのは残念である。
 白山信仰は天台宗の全国分布にともなって日吉社の一部となって流布していき、現在は全国に3000社をこえる白山神社が知られている。
 白山とその周辺の地域には金銅仏が多く、白山比盗_社には御前峰東寄りの転宝輪岩屋に祀られていた十一面観音像(平安後期)が伝えられ、山頂の奥宮付近からも頭部が数点発見されている。白山比盗_社境内からは十一面観音坐像(鎌倉時代)が出土している。山麓の林西寺(石川県白山市)には、明治時代に下山させられた仏像が数体保管されており、中でも銅造十一面観音立像は平安後期の作として名高い。また白山信仰成立前には虚空蔵菩薩信仰が広まっていたと考えられ、福井県越前町には九世紀代の木造虚空蔵菩薩像が伝えられている。
 白山山頂および周辺にはいくつかの遺跡が分布していることが知られており、これまでに様々な遺物が採集されている。笈ヶ岳山頂では明治38年(1905)に経筒・銅鏡・仏像・陶器・刀剣などが発見されている。遺物は現在東京国立博物館に収蔵されており、報告によると12〜16世紀代のものがまとまっている。御前峰および大汝峰においては昭和61年(1986)に國學院大學による分布調査がおこなわれている。調査では仏像・御正体・銅鏡・鈴・仏具・武器・銅銭・土器・陶磁器などが採集されており、九世紀末には噴火にもかかわらず登頂者がいたことが明らかとなっている。また別山でも鋳銅製経筒と経巻が発見されており、周辺には無数の山岳信仰遺跡が展開する。
                                       (村上雅紀)
参考文献
 高橋千剱破『名山の日本史』2004年 河出書房新社
 福井県立博物館『第七回特別展山々への祈り−越前五山の神と仏−』 1987年
 平凡社地方資料センター『日本歴史地名体系第一八巻福井県の地名』平凡社 1981年

 

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