山頂案内図
展望台
晴れた日は、福井市・鯖江市・越前市・越前町を一望することができ、遠くは霊峰白山を眺望できます。また霧雨に霞んだ日には山々を見渡せぼ、鳥瞰図のように墨絵の世界へと導きます。
殿池
名称の由来は、織田信長公の乗馬がこの池に落ちた事からこの名がついたと云われています。別名「雨乞いの池」とも云われ、干ぼつのときには信長公の馬の鞍を引き上げ、池の畔のボタン桜の大枝にかけて祈祷すると、必ず雨が降ったそうです。
奥の院と臥行者の旧跡
泰澄大師の弟子、臥(ふせり)行者(小沙弥)の行場であったと伝えられています。臥行者は、石川県の能登島から大師を慕って来た人で、浄定(きよさだ)行者と共に、大師から片時も離れずに仕えていたと云われています。
越知神社
社伝によると、泰澄大師が、仏像を造り、山頂に社堂を建立して越知山三所大権現と称して祀ったのが、その始まりと云われています。天正年間の戦火で焼失しましたが、江戸時代に、福井藩祖・結城秀康公が祈願所としたことから再び栄え、崇敬者数万人にのぼったと云われています。境内には、別山・霊水・千体地蔵尊など、ゆかりの史跡も多くあります。例祭日は毎年フ月18日に盛大に行われます。
県内では最も冷たい霊水
独鈷水 ( とっこすい)
ここから左へ10メートル程下ると、大きな岩の間から霊水が湧き出ている。泰澄大師が修行中、護身用に持っていた「独鈷」で岩を突くと、神道力で湧き出たと伝えられている。
尾根筋にもかかわらず年中温度が変らず(約9度)、1300年にもわたって湧き出ている。
昔から地元の人々は、眼病や諸病に効能があると伝えられていることから、くみに訪れる人も多い。湧水の横には不動明王石像が祀まつられており、福井県指定(昭和48年5月1日)の越知山山岳信仰史跡の一部になっている。
最近、越知神社奉賛会によって、近くに地蔵堂も建てられ、登山者の休憩場所にもなっている。
〔越知山泰澄塾〕発行「泰澄の道」より抜粋