2013越知山泰澄塾c
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泰澄文化を 未来に伝える活動 越知山泰澄塾 設立30周年記念事業
「丹生高校からの大展望」山座同定盤寄贈 除幕式
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会 場 福井県立丹生高等学校正面 校門前
日 時 平成31年4月12日(金) 受付開始11:30 開式12:50
出席者 ●来賓 越前町長 内藤俊三様 丹生高等学校 同窓会会長 安井賢二様
●丹生高等学校 学校関係者 丹生高等学校高校生徒会
●越知山泰澄塾
目 的 下記の思いから同定盤を寄贈することとした。
@丹生高校の生徒たちに 白山を開いた 泰澄大師は 越前町ととても深い結びつきがあるということが知ってほしい A晴れた日には学校正門から 県境まで見え 左に富士写ケ岳 中央に白山 右に日野山まで180度の展望を楽しみ 大志を持ち そしてこの風景の大切さを知ってほしい。
B丹生高校の校歌に 「越知の清流右に見て」との歌詞があるが 泰澄が白山を開く前 最初に開いた山 越知山から流れ出した流れであり その流れは天王川に合流し やがて白山から流れだした 九頭竜川となり 人々の暮らしを今でも支えている意味を知ってほしい
式 次 第
司会進行 開式の辞 塾副代表 清水
主催者挨拶 塾代表 山口
除幕 全 員
来賓あいさつ 越前町長 内藤俊三殿
生徒代表 挨拶 丹生高等学校 生徒代表 学校関係者
閉式の挨拶 丹生高等学校 校長
記念撮影 全 員 |
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泰澄文化を未来に伝える活動
5月9日 丹生高校体育館にて行われた講演 |
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越前町と泰(たい)澄(ちょう)大師(たいし)が開いた白山
この学校から 61.3キロ先に白山が見えます。白山とは御前峰 大汝山 別山の三山を総称して言います。一番高い御前峰は2702mあります。白く輝く白山は 富士山 立山 と並ぶ日本三霊峰です。
今から1300年前 717年:奈良時代にまだ誰も登ったことのない白山に二人のお弟子さんを連れて初めて登った人が 泰澄でした。 人々は昔からずっと 高い山には神が住んでいると思い修行のために高い山に登ったのでした。
そして今は そのために登る人もいますが 登山というスポーツや趣味のために登る人が多くなりました。
泰澄は682年に 越前国麻生津 現在の福井市にある泰澄寺で生まれました。
14歳で夢のお告げを受けて 越前町の越知山(おちさん)に登りました。 そこで木の実や草を食べ苦しい修行を積み 21歳の時不思議な霊力を身に着け 奈良の天皇から「鎮護(ちんご)国家(こっか)の法師(ほうし)」という位を授かりました。
いつも越知山から白山を眺めていた泰澄は いつかあの山に登りたいとおもうようになり養老元年36歳の時 勝山から出発して初めて白山に登ったのでした。
白山で1000日も修行をしてから山を下り 弟子とともに全国20数府県を回りました。病気を治したり 川に橋を架けたり産業を興しました。300か所以上(泰澄塾調べ)の場所で 様々な伝承や 民話 言い伝えなどがあり 今でも多くの山やお寺・神社 湧き水 霊木 仏像 石 滝 などが残っています。
77歳になって また越知山に帰ってきた泰澄大師は 86歳で大谷寺にて一生を終えられました。そのお墓は「石造九重の塔」で国指定文化財です。
丹生高校校歌にも歌われる「越知の清流」は 越知山から流れ出した川 越知川でありその水は天王川となり日野川に入り、やがて白山から流れ出た九頭竜川と一緒になって 田畑を潤し人々の暮らしを支えて 日本海に流れ込みます。こうして越知川や白山の恵みは今も変わることなく私たちを見守り支えてくれています。
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